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チャイコフスキーの生い立ちと代表曲

このイケメン、どなたかご存知でしょうか?

あの有名な「白鳥の湖」を作曲した、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーですね!

リズムの天才と言われ、多くの有名な交響曲・協奏曲・バレエ音楽を世に残してきたロシア出身の超有名作曲家です。

 

と言われても、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、ショパン、シューベルト、そしてチャイコフスキー。

音楽に精通している人であれば区別がつくかもしれませんが、一般人には誰がどの曲を作ったのか、各々どういった人物なのか。

全くといっていいほどよくわからないのではないでしょうか。

 

というわけで、この記事ではその中の一人であるチャイコフスキーの、生い立ちと代表作を解説していきたいと思います!

 

チャイコフスキーの生い立ち

1840年5月7日、ロシアのヴァトキンクスで次男として生まれる。

ヴァトキンクスはウラル地方にある町で、ウラル山脈の豊富な鉱山とカマ川の豊富な水源により多くの製鉄所が存在する鉱山の町でした。

 

祖父は医師、父はその製鉄所の監督のような立場にあり、特別音楽に精通した家系だったわけではないが、医師である祖父の努力のおかげか貴族と呼ばれる一家だった。

そのためかチャイコフスキーの家にはピアノがあり、幼少の頃から音楽的才能を発揮していたそうです。

 

しかし、両親には音楽の道へ進ませる意思がなく、1850年、10歳の時に寄宿生として法律学校へ入学することとなりました。

1859年、19歳になる頃、法律学校を卒業し、日本でいうところの法務省のようなところに就職。

ここまで音楽にほとんど関わることなく法律の道を歩んでいたチャイコフスキー、1861年に知人の紹介でペテルブルク音楽院という学校に入学することなります。

 

この音楽院で音楽を学んでいるうちに、本格的に音楽をやりたいと思うようになり、1963年、23歳の時に法務省を退職し本格的に音楽の世界へ進みだしました。

幼少時代の楽しかったピアノを思い出してしまったのでしょう。

 

そのほかの有名作曲家たちは幼い頃から音楽教育を受けて育ってきましたが、彼の場合はその部分が法律学校となってしまっています。

21歳からの音楽教育というのは異例の遅さとなります。

恐るべき才能ですね・・・。

 

1865年、25歳でペテルブルク音楽院を卒業し、その翌年モスクワへ移住、同時期に設立されたモスクワ音楽院で講師をすることに。

以後12年間、講師をしながら自らの音楽活動もこなしていったのです。

 

この頃、あるオペラ歌手と恋におち、婚約まで至ったが破局。

1875年、「ピアノ協奏曲第一番」を作曲。

初演を依頼したニコライから酷評を受け、別の音楽家ビューローが演奏することに。

結果的にビューローの初演は大成功。

ちなみに、ニコライからの酷評というのは「演奏不可能だ!!」らしいです。(笑)

 

ビューローの初演も成功し、見事名作曲家の道のりを歩み始め、1977年には晴れて結婚、順調すぎる音楽人生と思われますが、この結婚は失敗に終わります。

モスクワ川で自殺を試みるほど精神的に追い詰められました。

その年に「白鳥の湖」が完成。

 

曲名の割に悲しいメロディーだとは思っていましたが、まさかこんなタイミングで作られた曲だとは・・・。

 

そして1978年、上述の通りモスクワ音楽院を退職します。

理由は、作曲に専念するため。

それからしばらくの間、各地を転々としながら作曲を続けます。

 

1892年、モスクワ地区のクリンという町に転居し、その翌年1893年10月16日彼の最後の曲となる、「交響曲第6番 悲愴」の初演。

それからわずか9日後の10月25日に急死で短い人生の幕を閉じました。

53歳という若さです。

 

死因については、感染症の一つであるコレラという説が一般的です。
(直接的な死因はコレラにより衰弱した体で併発した肺水腫)

 

元々法務省勤務の法律マン、音楽の世界への参入の遅さ、恵まれない女性関係、53歳の若さで急死、などなかなか激しい人生を送ってきた人物です。

 

チャイコフスキーの代表作

このレベルの人物となると、作曲した全てが代表作だと言ってもおかしくはないですが、その中でもかなり有名な5曲をご紹介します。

 

ピアノ協奏曲第一番

1975年

友人でありモスクワ音楽院院長であるニコライ。

彼から刺激を受け初めて作成したピアノ協奏曲です。

 

ヴァイオリン協奏曲

1878年

エドゥアーロ・ラロのスペイン交響曲を研究し、その研究の成果物として着想されたといわれています。

 

白鳥の湖

1976年

チャイコフスキー初のバレエ音楽。

今ではすごく有名なこの曲、当時はお蔵入りレベルだったそうですよ。(笑)

 

 交響曲第六番「悲愴」

1893年

上述の通り、チャイコフスキー最後の1曲。

この曲は、全ての作品の中でも最高の出来栄えだと語るほどの自信作だったそう。

 

幻想序曲「ロミオとジュリエット」

1869年

有名なシェイクスピアの戯曲を題材として作られた曲。

チャイコフスキー最初の傑作という声も多いようです。

 

まとめ

以上、チャイコフスキーの生い立ちと代表作品でした。

生い立ちに書くところがなかったので省力しましたが、彼は亡くなるまでに12回ものうつ病にかかっているそうです。

思ったよりも、壮絶な人生を送っていられる・・・。

 

確かベートーヴェンも厳しい人生を送っているような記憶があります。

厳しい人生と音楽能力には何か関係があるのかもしれませんね。

 

こうなってくると他の有名な作曲家の生い立ちも気になってきます。

また時間があるときに更新してみますね^^

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